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私的鉋備忘録

カテゴリー表示のやり方が分からんのですが、タイトル下のカテゴリーをクリックするとそのカテゴリーが出て来ます。シリーズ化しているモノは時系列でお読み下さい。

『瑠璃光寺五重塔』の考察〜 (秋の古建築弾丸ツアー)   私的仕事感〜

28' 11/21妻木先生の図面追加、桁と実肘木造り出し文追加等。

28'11/27メチャメチャええ須弥壇の写真発見!

 


 クソほど長い作文で最初が一番面白く無いモノですが二週間以上かけて
本塔について考え、『瑠璃光寺五重塔』の魅力を知って頂きたく!! 
序に私的なモノ作り感を書き綴っていますのでお気軽に読める内容
ではないのですが、是非頑張ってゆっくり読んで頂ければ大変幸せ
に思います!             

                       敬具

※一応古建築に明るく無い方用に注釈は入れているのですが、言葉
足らずの力量不足等でご迷惑をお掛けします。


 旅のファーストコンタクト

  『瑠璃光寺五重塔

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良かった!
天気も良かった!
立地場所も最高だった!
瑠璃光寺五重塔(設計者)にしてやられた!  (嬉!)

 

↓必要な時に確認して下さい。
寺院古建築様式の違い
和様、唐様(禅宗様)、大仏様(天竺様)
http://masa4534.blog.fc2.com/category44-4.html
(何れまとめますが今回は他人のページにて確認して下さい…)

 

〜先ずは簡単な紹介から〜
 時代は室町時代(1442年)で
建築様式はほぼ和様が基調だが、二層に有る高欄親柱の擬宝珠(24-25')と
隅木の雨蓋(20)と、三層の板扉(10)の軸受けの藁座(図.う)(図面を見ていて
今気付きました…)
まだ有った… 肘木(15)の下端曲線(17)の木口に和様のような明確な区切り
が無く、曲線形状から観ても唐様式(禅宗様)と言える建築のようで、
細部意匠等の輪廓線(アウトライン)は、唐様の影響が垣間見える。

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瑠璃光寺意匠説明写真〜

1,長押 2,半長押 3,柱 4,腰長押 5, 6,枠(唐戸面) 7,弊軸(唐戸面) 8,連子窓枠 9,透かし連子窓 10,板扉 11,飛長押 12,台輪 13,大斗(隅)
14,大斗(平) 15,大斗肘木 16,隅行肘木(二段目) 17,肘木下端曲線 18,鬼斗 19,桁+実肘木(一体) 20,隅木鼻と雨蓋 21,茅負い 22,裏甲 23,軒付け 
24,高欄の擬宝珠

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25,高欄 25',擬宝珠 26,菱形彫刻 27,屋根流れ 28,斗供

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(スンマセン…横に成ってるかもしれませんね♡)

図,あ 瑠璃光寺五重塔一層平面 (円須弥壇のイメージ)

図,い 塔の一層拡大図

図,う 藁座(ワラザ)扉の軸受装置

図,え 実肘木の肘木鼻が絵様繰り型に成ってる(唐様)

youtu.be

2.00~と4.00~位に少し細部観察が出来る。

 

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今回の弾丸ツアーの講師をして頂いた「妻木靖延」先生の御書きになった貴重な図面を

一分足らずの電話内容でしたが(笑)掲載許可を快諾頂き誠に感謝致します。

(しわくちゃでスンマセン)

 

 

 付け加えると後ろの山を少し上がり眺め観ると、一層では無く、
二層目の盲目窓(白地板?)に横長の菱形紋彫り(26)(大内氏=発注者の紋)
がくっ付いていました。
 和様が基調としましたが全体に純然たる和様感をそれ程感じさせず
唐様を感じるか?と言うと、そんな事は無く矢張り繰り型が三層目  
板扉の軸受に有するのみなので(藁座、図面にて確認したのみ…)
パッと観て繰り型不使用とも感じる。
 作り手からすると、新様式の繰り型を実肘木等に使いたくなるモノ
です。  
一般的に、
「ちっちゃいより、大きい方が何か良いように思う」
「手が込んであったりする方が豪華に見えて良い!」
いつの時代も「あるある」です、
この塔なら実肘木(図え)に繰り型を付けそうなものですが和様を選択
されたようです。
 其れと、瑠璃光寺五重塔設計者は、一〜二層迄しか開口扉の弊軸(図い、写真7)
(「唐戸面」(図い)最古?は平安の平等院鳳凰堂透かし連子窓枠で使用、
唐戸面は唐様以前から存在、和様)
を設けず、三層目開口扉の軸受「藁座」(図う)に唯一の繰り型を採用
しているのみに成ります、この事は「唐様」を所々に採用している
にも関わらず、矢張り和様のスッキリとした美しさを好みとしていた
ように感じます。
(「繰り型」(図う.え)使用の見た目の効果を改めて感じました。)

そう言えば、雨蓋(20)ですが後ほど紹介する、富貴寺大堂(平安後期ガッツリ和様!)
とは真逆な芸風で、当然富貴寺大塔には和様なので雨蓋(20)は有りませんが
(隅木部材保護の為雨蓋は美観を損ねようがなんだろうが付加賛成!)
本塔の雨蓋の付加という意味だけでは無く意匠上の事ですが、隅木鼻(20)
のお辞儀具合が少々強過ぎるように思えます、これ程迄の転び(傾き)
はおぼろげな記憶の中でも他に思い浮かびません、癖が強いので和様
スッキリ系を選択しておられる方なので何か意図が有るようにも感じます。
下から見上げると、隅木木口が僕の方(下)を向いている位で、
一〜四層(下から一層~)の優美な軒反りとは少々不釣り合いの様にも
思えて、 少々??  …  ?
 擬宝珠(25')は、調和/好みとは別腹で、ちょっとした古建築を見る上での愉しみで
もっとジックリ観たかったのですが、矢張りもう少し倍率の大きい双眼鏡
でないと、どないもならん状態で、古建築観察グッズに必要な物と感じました。
(三層藁座(図う)も然り… 手持ち側面図では確認出来無いので)
その他は、和様が好みなのですが具合の良い折衷様(和様+唐様)で、
唐様(禅宗様)の木割(構造材の寸法)の細さからの影響が有るのか
和様の代表選手「醍醐寺五重塔」(時代が離れ過ぎですが…)等と違い
好みの木割(部材の大きさ)です。
僕の中で滋賀県湖東三山の西明寺三重塔に並ぶラブリーな塔と
成りました。

古建築の見所で外せないのが「軒反り」ですが、大変美しいモノで、

一層〜五層まで軒の茅負い(21)/裏甲(22)/軒付け(23)等ぶ厚くなく軽快で、
軒の反りとの調和が程良く取れた好みの転び(21~23. 傾き)で、
長刀反りで在りながらさほど長刀感は無く穏やかで優美に観える軒反り
でした。
 しかし、一〜四層の屋根の流れ(27)が少々緩く、  、
緩い方が大好き!なのですが! 物足りなさも少し感じました。
この理由は少し屋根厚みが薄く(薄っぺらく、ゴメン!瑠璃光寺五重塔…)
観えてしまった事です、
(クドい様ですが流れが緩い方が大好きです!)
そして、この塔は、創建当時も遠くから眺める事が出来たと、周辺の地形から
推測します、之は平安期~の山岳寺院の様に至近距離で込み入っている所では
屋根の流れ勾配は、大きな観点と成り難いケースが有りますが
(たいがいは何とか見えるけど…)
この塔は、まぁまぁ丸見えで少々薄い… ?
それと、この山口県山口市香山町の気候をあまり知らないで言うのも
なんですが、雨仕舞いも少し心配です、五重の屋根が重なっているので
まぁまぁ傷みが出てくるのは軒の周りで、塔身近くは傷み難いのですが。
(北面は日射の問題で矢張り屋根流れに苔が少し有りました)
 結局この塔の軒反りは、比較的穏やかな曲線を持つ軒反りで屋根
流れも緩い目と成ります    が、
 実は、先程から五層目コメントがほぼ無かったのですがぁ、
五層目単体に注目してみましょう、  すると?
「ちょっとキツイ反りかなぁ〜?」と思ったりしてしまいます、
全体を観察してみると矢張り、 一〜四層の軒反りと比較すると反り
がキツイ!  好み的にもキツイ! 他層軒反りの調和的にもちょい
 キツ目   ん〜 ?  n〜 ??   NNn …
      悩ましい…  
全体の軒反りのみ注目すればヤッパリ五層目がキツイ、他に類例が
無いか確かめて見たが(五.三重塔、多宝塔118基 。写真は、「真実を
写すと書く」が広角レンズを使うとええ加減で困る )、
僅かだが多宝塔にこの様なケースが有った、そして三.五重塔中では
寛永寺五重塔が本塔の様に五層のみ反りを強くしている

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寛永寺五重塔
その他の塔は皆、各層の軒反りは大方其々に準じた反りと成っていた、
  「デザイナーの意図を感じる!」 
 何故だ!     
寛永寺五重塔のナナメから撮った写真で確認し易いのだが、仮に
五層が一般的な「各層に準じた反り」で有る事を想像してみると
どうだろう? 見た目の違いをイメージし易くハッキリと塔の印象
が違うと感じます。

※ココで改めて書き記しておきたいのですが、「建築」は遠くからも
近くからも鑑賞出来るモノです、
此れは、可能で有れば遠くからも近くからでも観れるデザインが
求められます、マニアに成れば細部意匠観察に陥り、全体の調和を
忘れる事が暫し有ります(自分に当てはまる)
遠くから観る時は細部など「ただの全体を観るためのパーツに過ぎない!」
と言う事です。
デザイナーは、遠くから? 近くから? 何方かを優先しなければ
ならないと言う選択を迫られる場面も有るでしょう、
全ての調和を考えて観察対象を捉えて行きたいものです。

  ん?

            n? …

                       n、、、、

 


うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
   
           ウォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ

       凄い!

   コイツまだ有る!   
              まだやっとったぁーっ!  

今図面を見て気付いたんですけど、一〜三層迄長刀反りやけど
四〜五層と真反りにしてやがる!

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 ちょっと感動で目頭が熱い!    オレも熱いナウ!
   凄いでぇー    飛び抜けて凄いデザイナーやでぇーー!
ホンマに感動やで!
こんなんで感動出来て幸せや!     うぅ〜 …   何をしてくれてんねん! モォーッ
コレやから日本に生まれて良かったと思う!
コイツ天才や!         LOVE♡
そら スラリとキレイに見えた筈や
ホンマに何考えとんねんやろ。    大好きです!

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(ごめん、横に成ってる… いつか直すかも?)

図,1 金剛寺多宝塔上層隅行斗供(鬼斗だけ別部材)

図,2 真ゾリと長刀反り

図,3 浄瑠璃寺五重塔隅行斗供、斜線部が一木造り出し

図,4 浄瑠璃寺五重塔鬼斗

図,5 持ち送りイメージ図

(せり出し方向に"ナナメつっかい棒"的な役割)

 

ど〜もこの様な軒反りの組み合わせにするとスラッとしたプロポーション
に見えます!(僕には!)
 この頃の軒反りは「長刀反り」が主流で、作り手から言うと「真反り」
というのは「勘弁して欲しい!」と言うのが正直な所で、手間が
めちゃめちゃ掛かります、当然コストパフォーマンスは、最悪DETH。
そんな理由も有り、「真反り」は飛鳥〜平安時代迄が主流で、
特に江戸時代等は「真反り」を有する軒は有るのかな?
といった具合です。
彼(棟梁)は「長刀反り」が主流と言う事を一旦廃し、
この塔に相応しい軒反りを選択されたと想像します!
結果、
一〜三層長刀反り、四〜五層真反りとし、
574年後の僕を虜にしたと言う事実が導き出されました。

「一〜三層長刀反りは、手抜きに有らず!」

 ※ゴメンナサイ、話が若干逸れますが改めて…

 仏教伝来によって倭国に様々な物がもたらされました、
仏教は勿論の事ですが、(仏教は一つの学問的要素も強かった様です)
そして、建築/土木/文字/製鉄/製銅/鋳造/止利仏師/瓦博士/絵画/木工…
他にも沢山有ると思います、其れらのブランニューな「大陸文化」を
日本人はどんどん呑み込み  [ 模倣〜我がモノへ ]([奈良〜平安])
「我がモノへ」此れが顕著に花開いたのが学校でも習った平安時代
「国風文化」です。
「平仮名、大和絵〜」等が有りますが、この時期にブランニュー文化や
技術を自分のモノへ吸収し、消化し、新たな日本のカタチ? 文化として
日本人は表現しました。
古建築に於いて平安後期の平等院鳳凰堂が和様建築完成と言われています。
(余談ですが、木工芸の一つのカタチ「鷺足机」ですが平安後期に
完成を見たと感じ、同時に「鷺足机」の頂点に有ると感じています。)
 この様に自国のアイデンティティーとして上手く表現しましたが、
鎌倉時代に入り仏教禅宗が本格的に入ってきたりして、建築界に
於いても同時に新たな建築様式が入ってきました。
         [鎌倉時代]
           Ⅱ
  「唐様(禅宗様)/大仏様」の建築様式が入って来る
           ↓
       「和様+唐様/大仏様」= 折衷様式
古墳時代飛鳥時代への強烈な変革では無いものの、矢張り大きな
変革として流入して来ました。
 そして…
其のブランニュー様式を呑み込み [ 模倣〜我がモノへ ]=[鎌倉〜 ]
 そうです、 話の意図は掴めたと思います (笑)
瑠璃光寺のデザイナーは、昔からの様式は然り、新様式をも熟知し
自分のカタチを模索し表現御されになったと感じてしまいました!  
  
           カッコイイ !  

        「継続は衰退なり」

本当の意味で彼の行った行動が真の「伝統」と僕は感じます。


山口県や東京在住の方は確認してみて頂けたら有り難い、類例の少ない軒反り
の組み合わせなので、五重塔の発注が有れば一つの参考としてみては
いかがだろうか?  (笑)
                感想コメントを待つ!


 更に!

軒反りをフューチャーしてきましたが、「逓減率」にも軽く触れて
おきます。 (逓減率の説明、是非!↴)
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage778.html
↑にも書いて有りますが、本当に時代が下るにつれて、法隆寺五重塔
のドッシリ安定感の有るピラミッド型(上に行く程柱間巾が小さく
成っていく、大陸はこのタイプが主流、だけ? 法起寺三重塔凄い
http://jp-isan.com/hokiji.html  広角レンズで誇張アリ…笑)
ほぼ真っ直ぐ建ってるんじゃないか?と言うぐらい(塔身巾平行?
例=日光東照宮五重塔)の逓減率となる。
http://blog.livedoor.jp/yamayamaueno/archives/51205704.html
(知らん人のブログ…)
其れからすると本塔は平均値に近いようですが、
  が、
 逓減率以上に違和感無く美しいプロポーションに見えます、
「違和感無く」?  実はよく観ると高欄を二層目にしか設けておらず、
三〜五層目に高欄が無いので逓減率以上に軽快さが有る!
是も類例を確認しておらず、
(前山寺三重塔,室町末期は、〈建かけの塔〉?と伝わるので除外
http://museum.umic.jp/map/document/dot3.html
此れは、本当に頭が下がる前衛的とも言えるやり方だと切に痛感致します!
高欄を設けないなど「手抜き?」「建てかけ?」と言われても良いような
物で、今自分が出来るかと言うと…   、、 、!、    …
凄い!   スゲェーぜ棟梁! アンタは偉い! 素晴らしい!
貴方のチャレンジに心から敬服致します!
おそらく、批判を恐れずやり切った棟梁番長だったと推測いたします。
尊敬しか有りません!
今迄三.五重塔通例の当然のセットとして、「取り敢えずビール」なんかより 
遥かに当たり前で有る『高欄』を、設けない!   
 「でぇ  どうなんねん?」
「 違和感無く美しいプロポーションに見えます 」!
 エクセレント!
逓減率以上にスッキリとした、
  も   、  なんとも言えん よろしおすぇ〜っ!
「 違和感無く美しいプロポーションに見えます 」 (クドい?)
フェノロサさんが、薬師寺三重塔を「凍れる音楽」と言われたそうですが
僕は、瑠璃光寺五重塔は、美しさだけでは無い「凍れる前衛」とのたまいましょう!
(正直、フェノロサさんと天心さんは役得野郎 チッ! のやっかみ感が
否めません!)
取り敢えず   エエで!
でも多分…  分からんけど?  …
「やっぱ出来上がりヤバかったら後から高欄作ったらエエねん…」
と言う計算も有ったような気もする…(笑)


まだある…  


柱間装置ですけど五重塔であれば側柱が一面に四本建ってます、
(柱間装置=柱間に設置されているモノ。壁/扉/窓等)
三間有ると言う事ですが、真ん中は開口扉が設けられています。
そして両脇の柱間装置は、たいがい連子窓が腰長押等の上に設けら
れています。(図,い)
 さてココからですが、問題はその下の地覆(切目長押)
〜 腰長押迄の納め方なのですが、瑠璃光寺五重塔では唐戸面の額の
様な物が廻されています、(図い、の赤枠)
「なんでこんな物を付けたのでしょうか?」
構造材では有りません、では装飾材?

 取り敢えずですが「日本の塔」渡辺義雄写真集(毎日新聞社)の
物、飛鳥〜昭和迄の塔を調べました。(さっきと一緒で118棟)
地味なポイントの探索です(笑)
改めて、
『地長押〜腰長押迄の空間【6,枠(唐戸面)】の部分の納め方』
(図い、の赤枠)
* 漆喰壁タイプ
* 柱間真ん中に束タイプ
* 枠、枠内装飾(彫り物)タイプ
* 格狭間タイプ
等でした、しかし1442年以前の物に限ると漆喰壁/ 柱間真ん中に束タイプ
しか有りません、更に1442年以前の仏堂から神社建築にも手を伸ばし
「日本建築史図録」天沼俊一著(星野書店)s'10〜
[飛鳥/奈良/平安/]、[鎌倉上][鎌倉下][室町]を手掛かりに
柱間装置の 「地長押〜腰長押」迄の納まりを調べてみました。
他に、「日本建築細部変遷小図録」天沼俊一著(星野書店)s'14
「日本建築史基礎資料集成」四 仏堂Ⅰ、五 仏堂Ⅱ、十一 塔婆Ⅰ、
十二 塔婆 Ⅱ、愛著近藤 豊様の「日本建築細部意匠」等を確認として
探してみました、(探すだけで4日…)
矢張り結果は同じでした。

先ず白壁タイプですが、世界最古の木造建築「法隆寺金堂」は  
https://youtu.be/-QrOOmK9g_s
全面白壁タイプで、五重塔は側柱(裳階柱では無い)に脇柱間装置に
透かし連子窓を設けその下に丈の低い長押を通し(現在の長押と比べると
構造的に考えても特別薄い!)その下に白壁その下に地覆貫を通す。
先ずは、最古の例として上げる。
以後白壁タイプは連綿と受け継がれていく。
しかし、同西院伽藍回廊に類例のない二つ束タイプが有る、
修理報告書を見たわけでは無いのでオリジナルかは知らないが
此れは柱間間が長いので構造材として入れた可能性が有る、
真壁の中に構造材を入れて持たす事は可能だが、目的としては装飾
と見るより構造材と見る方が自然と感じる。
「白壁」で特筆しておきたいが、柱間装置として全面白壁と言う物が有る。

(お城は少し新しいので今回は論題内容から古〜いモノを上げます)
 柱間で柱の上部の長押/頭貫〜下地覆長押/地覆貫迄の事です。
法隆寺金堂は然りだが 、裳階付という事で今回は論題として外します)
一番面積のデッカイ物で古〜い遺構で紹介しますと
法隆寺大講堂(990年)が有ります、
http://www.horyuji.asia/entry18.html
大変貴重な復元模型集
http://www.age.ai/~craftman/maboroshi.html
面積は巾9.26尺 × 丈14.75尺(2810×4470㍉)
約12.56㎡(図面から勝手に測ったので、[約]と考えて下さい!)
だいたいタタミ7.5畳位の広さ…      デカイ!
住めますね! ? (笑)
厚みが? 平面図ではどの線が壁の厚みか?何か?判別し難く合って
いれば約6寸(約180㍉)、斗供の壁は四寸(約120㍉)なので約6寸の
ような気がします。
合っていれば住宅とはちょっと違う厚みですね(笑)
 もう少し現実味の有る物で「法隆寺食堂」が有ります、
写真〜 
法隆寺食堂で分かり易いのが有りました
https://youtu.be/MbP1hFe-Y5Q
此れは、超〜古建築で奈良時代
この辺りは、この世に存在するだけで凄いですよね!
これがまた古い形式で、分かり易く言うと
ガンダムで言う所の旧ザク! ?     (失敗?例…)
よくこんなので千年以上持ちこたえたものだと関心します。
因みに背面の壁面積は、約巾8.5尺×9尺(2570×2720㍉)
約6.99㎡(今度はネットに出てた図面からなのできびしい精度なので、※約!)
だいたいタタミ4.22畳位の広さ。(厚み不明)

それにしても古い「壁」ばっかり例に出しましたが、其の心は…
「メンテナンスをすれば千年以上持ちこたえた!」と言う証拠の品です!!!!!
「メンテナンスをすれば千年以上持ちこたえた!」と言う証拠の品です!!!!!
「メンテナンスをすれば千年以上持ちこたえた!」と言う証拠の品です!!!!!
「メンテナンスをすれば千年以上持ちこたえた!」と言う証拠の品です!!!!!
「メンテナンスをすれば千年以上持ちこたえた!」と言う証拠の品です!!!!!

確かについ最近までは(?) いやっ… つい最近でも(戦前)でも
シッカリと持っている(笑)
其れは、法隆寺法隆寺大工が適切なメンテナンスをしたからなのは
言うまでも有りませんが。
 それにしても残ってる。 (笑) 
日本文化の形の一つ何でしょう!
えらく大事に使う民族ですね! 大好きです!!!  ニコッ

 話は逸れますが数年前法隆寺の仏像が盗まれたニュースが有りました
仏は文化財では無いモノでしたが、確か?鎌倉時代の建物の連子窓を
鋸で切って盗んだと記憶しています、
何百年?守ってきても壊したりするのって簡単ですね。
そう言えば、某NHKが大晦日の「行く年来る年」だったと思いますが
東大寺鐘楼(バリバリの国宝、カッコええ!)にスタッフが釘を打った事件が
有りましたが、   日本人の何かが途切れてしまったのかなぁ〜
と、 憤りを感じた記憶も蘇りました…     
               本当に悲しい…
                         寂しい…

さて、相当話は逸れましたが何でしたっけ?    …
あっ、
 「面積の大きい白壁が千年以上持ちこたえた」と言う事実が有る!

 

序にまた思い出しましたけど…
 ついこないだ知り合いの瓦屋さんと喋っていた中の会話ですが、
当時その方は学生で唐招提寺の修理に立ち合う事が出来、少し手伝って居られたようで
瓦をクリーニングした事が有るとの事、 その話が面白い!
「瓦の土をタワシで擦ってたんやけど全然落ちひんし、金タワシで
擦ったんやけどそれでも簡単に落ちよらへんかった。 笑 」 笑!
瓦の裏に当代の瓦制作工程での布目が付きます(荒い麻布の痕)、
そこにこびり付いてなかなか取れやがら無い! 更にそれ以上に
土の癖が凄い!(笑)
「カピカピであんなん雨に当たっても崩れへんで!」
そう、 昔の土は違うのです。            ?
土は昔も今も同じでただの、鉱物です(笑)   ?
でも違います!             ?       何が?
 法隆寺大工の心の師匠西岡様が言っておられました、
「堂、塔を作る時、木材調達は当たり前やけど、先に土を作らねばアカン」
(言葉は間違っているか分かりませんが、言葉の内容は合っていると思います…)
この「土」は、土壁等の土の事です。
ご存知の方もおられるでしょうが、やたらめったら「臭いっ!」
此れは、土を集めそこにスサ(藁等詳しくは知らん…笑)を混ぜ込んで
腐らせ、またスサを混ぜ込んで腐らせ、風下の薫風は超大変!という
工程を繰り返し土を作ります。  超臭い!(西本願寺の修理の時も臭かった)
その工程を経る事により粘りの有る屈強な土が出来るようです。
此れがどうも昔の土らしいです。
そんな土を使った建築は、強そう♡(実際強い!)
 建築基準法で古建築が千年以上持ちこたえている事実を黙殺し続けて
木造建築の更なる可能性を(日本文化の更なる可能性を!)偉い方が
阻止し続けていますが、日本人のアイデンティティーである、木の文化の
否定を止めてもらいたい!
(そう言えば新オリンピック競技場はたしか105×30㍉の色々な産地の
杉材を主にして作る計画で進んでるようだったと思う)
目下、千年を超える耐久力を持つ先輩に敬意を払い更なる研究を加速
して頂きたい!
地球の2割の天災が起こる、地球でも稀な崖っぷち(太平洋プレートに
押されたシワ 笑)で、気候もナイル川エジプト文明)とは真逆な風土
気候を持つ四季の有る変化に富み、多様性を迫られる小さな小さな小島。
此処で住み付いた動物のアイデンティティーを取り戻したい!
それしかこの地で生きる術が無いと信じています、
グローバル化の否定では無いです!
神道」な国なのに仏教を取り入れ瞬きする様な時間で「神仏習合
というカタチに日本文化として根付かせ、世界的に不思議な宗教感、
文化を持つ(笑)日本国(笑)(笑)(笑)
柔軟性が無いと生きて行けない小島、日本! nippon!
客観的に?「平等院鳳凰堂」や「刺し身」を創った文化に敬意と尊敬を
払う僕は日本ファンです!♪ 笑      (又逸れた…)

支離滅裂では有りますが(ゴメンナサイ)
取り敢えず白壁如きですが、'適切な土'で作り適切な壁の内部構造を
もって作った壁等は大変強靭な耐久力を持つ事を認知して頂きたい。

(本題に戻る)
こう考えると、問題の柱間装置部分には例外等(スパンが長い)を除き
束は必要無く装飾の一部と考えられる。
ましてや瑠璃光寺五重塔の枠など装飾以外の何者でもない、
そして前例も無い、6,枠(唐戸面)は、装飾である!
この事を確認してもらい次に続く。

 

 

さて、『凍れる前衛』構造編
   何でしょうか?
其れは、隅の大斗が斗繰りの無いただの「四角い木」それと、
一〜三層「隅肘木と斗供」四〜五層 「隅肘木と斗供二段分」
が一木で造り出している!  ※図,3
瑠璃光寺〜図,3と図,4 金剛寺〜図,1)

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(何とか理解出来る?程度の稚拙な図でスンマセン)

 


先ず、
日本の建築は大陸とは違い、学校でも習った「温暖湿潤気候」なので
雨が多いから軒が深い!(そう言えば「蔵」の軒は短いですね、
理由は知らんのですが、火災焼け落ち崩壊等対策?誰か知ってる人
教えて下さい、宜しくお願い致します。)
軒が深いイコール重たい軒を支えるのがしんどい…
オマケに角っこは折り矩二辺の荷重が 『集中!』= 最悪!
特に一層目大斗下の台輪に100%「めり込む」当然大斗も「めり込む」
恐らく微妙に隅っこの寸法狂ってくると思います。
そこで登場! ただの斗繰りの無い四角い木 (笑)
いや! 笑ってはイケない!!!

 斗供 = 深い軒をせり出す装置 = 軒の「持ち送り装置」
(持ち送り=せり出し補助部材 例〜持ち送りイメージ図,5)
斗供は良く出来た軒を迫り出す為の装置では有りますが、如何せん
何処まで行っても小さな部材の集合体で(この小さな部材の集合体
のお陰で『柳に雪折れ無し』を担えている大切な役割が有るようですが!)
物理的強度として背の低い部材の集合体より丈の有る一木部材の強度
の方が勝ります。
そこで井ノ兵衛棟梁は(勝手な名前を付けております)
隅っこだけでも一木にしてやれ! と、
この、隅の肘木と斗を一体にした部材を入れた! ような気がする、
絶対。      …
コレについては輪郭のみで、斗の形の再現には至っていませんが
材料の都合でお迷いに成った?とは思うが…
潔く其れはソレとして、面白くカッコよく思えてくる♡
(肘木と斗の一木造り出し例→金剛寺多宝塔上層隅行斗供、壁内部から
隅の鬼斗迄、平安末期とも言われるが桃山時代の大改修が有り部材時期
は不明、個人的には鬼斗の繰り方と隅底部の残し方から桃山期と思う 図1)
 コレも想像ですけど、良く出来た「斗供」と言う構造と意匠を兼ね
備えた軒を支える持ち送り機能だが(構造即意匠) 、住宅と違う
社寺建築等の荘厳機能を兼ね備えた比較的大型建築の深い軒に、
前兵衛棟梁は(勝手な名前を付けております…)
大きな荷重負担となる「軒」に限界を感じていたと考えます、
しかし意匠上の「美しい軒は堅持したい」この思いから構造面の
進化を迫られた結果、前兵衞棟梁が導き出した答えの様に思いを
馳せました。
未来永劫、この美しい姿を留めるように、なされた伝統から革新への
答えで、 イノベーションだと感じます!
使い捨てでは無く息の長い創造物なので、
「一時の美しさより長期に渡る美しさを」とのメッセージとも受け
取れます。
古建築?当時は新築、マニアで無い限り其処までマジマジと重箱の
隅をほじくる様には観ない、大方の九割以上の人は全体を見て良し
とする。
その事を良く理解し男気も感じられる。
さて…
 「自分ならコレを出来るか?」
普通なら「手抜き普請」なり「見た目が悪い」と施主様やお店の方に
言われる事をちゅうちょして…
  何処迄自分は出来るのだろう?    分からない。
ただ彼はやり切った。
                 よっ!  男前っ!
               (この頃、女性の棟梁は考え難いと思います)

 

 まだ有るんです、  スミマセン…
塔の一層目内部空間ですが、(図あ)

ごっつええ写真発見!

http://www.yamaguchi-walker.jp/naijin.html

四天柱が有り後方に壁(来迎壁)が有り仏を安置する所迄は普通ですが、
須弥壇の平面形状が、四天柱を含み円形の須弥壇となっています。
 当代に於いての「塔」は、初期の仏舎利を納める建築、厨子
と言う物では無く、仏を安置してお寺のシンボル的な性格を帯びた
モノに成っています。
しかし「塔」(三.五重塔.多宝塔等)は、元々「仏舎利」を納める物で
スツーパ(釈迦の墓)が起源です。
(スツーパ=http://kskek.sakura.ne.jp/ind4.html
此れは、舎利が有り、その上に伏鉢状の土盛りが有り、その上に高貴
な方を象徴する傘をあしらった物で平面は円形で、一応正面は有りますが
基本的に正面はあまり無いモノに成ります。
故に初期の塔(現存最古、法隆寺五重塔)をクローズアップすると
内外部に正面を意識した所が無く(多分無い…)平面が方形ながら
円形の性格を強く持っています。
興福寺円塔等は、八角ながら「円塔」と呼ばれており、どんな塔も
「円」を表している所から始まっています。
 本塔の須弥壇の平面が円形なのはこの事からの踏襲と考えるのが
自然だと考えます。
 更には芯柱(塔の中心に有るゴッツい棒)初層内を貫通しています!
此れは、五重塔の内部の四天柱の真ん中に柱が有ると言う事で仏を
安置するには「邪魔」! (笑)
しかし初期の塔は同じく貫いており更には掘っ立て柱(地中に埋める)
で、鎌倉期に一層天井上に寸止め、中吊り状態(たしか海住山寺五重塔から?)

 

 〜 オマケの塔豆知識 ♪ 〜
芯柱は、屋根五〜四層辺りで建物と接しているだけで中吊りが基本、
九輪(相輪)を支えている事と、建物への「重し」や耐震装置…

http://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com

東照宮の心柱紹介ページ


また、中吊りでないと塔の高さが新築時より確実に低くなるので
(木の痩せ等)必要な処置の様で、
 京都の東寺五重塔の内部拝観の時にでも確認して貰えれば判るが
須弥壇内部が少し見えるようにしてくれてる、(と思う)
この塔も同じく初層貫通型だが、初層内部は極彩色に彩られ、
芯柱にも極彩色が施されている、当然須弥壇の天場から上に極彩色
を施すが、何故か須弥壇の内部を観ると天場の下迄極彩色が侵入
している(寸法忘れた…)、此れは理解し易い例でその「ズレ」の
寸法だけ建物が低くなったと言う証拠を示してくれている、
もし中吊り構造に成っておらず地面に接している構造だと、その結果
何が起こるかと言うと、芯柱の長さは変わらず建物は低くなり何れ
双方が遊離して、大概相輪最下の露盤下辺りに隙間が出来て雨漏り
が生じる。    
其れと日本人にとって「柱」は御神体、又は神様の依り代等構造材を
超えた存在としての意識が強く、「柱」は、神を数える数助詞で
この考え方は日本にしか無い。
                    おわり

 

何方にせよ初層貫通型で須弥壇貫通は、当代に於いて初層内部の
使い勝手が宜しく無い(当代に於いて)。
だから時代が下れば初層貫通型は珍しい、この事に於いても初期に
於ける「塔」の考え方の踏襲かもしれない?
 今の様に研究があまりなされていない時代に、
当代に於いてこの様な考えが残っていた?のか知り得ませんが、
矢張り須弥壇では類例を見ない物なのでこの事も特筆しなければ
ならない意匠だと思います。

こんな妄想ばっかりやってたら、いつか修理報告書を読まなきゃいけませんね♡
「読みたいわぁー  誰か貸してぇ〜!」
(図書館行くのって邪魔くさいですね、オタクで引き篭もりで僻地?
に居を構えておりますので)         譲って!


おさらいとして【瑠璃光寺五重塔私的備忘録】
 『和様が基調』
*各層目立った装飾は無い
*隅木鼻先雨蓋有り(木口面、外転び強い)雨蓋の付け根の納まりが
 意味不明?
*一〜三層隅行斗供の二段目肘木と斗が一木造り出し、
 四.五層隅行大斗肘木〜二段目斗迄が一木造り出しで切り面を施す

*桁と実肘木も一木造り出し(写真19)
*二層〜斗の建物内部が斗繰り無し
*一層 〜 柱間装置部分(切目長押〜腰長押)の枠(唐戸面)
    一層のみ連子窓で他層は白地板?
     礎石下亀腹は、当代にしては緩やか
*二層 〜 高欄/唐様擬宝珠/菱形彫刻(連子窓部)
*三層 〜 藁座(軸廻し装飾)有り、この層のみ飛長押無し
* 三〜五層は、高欄無し!
* 一〜二層のみ弊軸を設ける
* 軒反り、一〜三層は長刀反りで四〜五層は真反り
*上層に行くに従い軸部丈が低くなる所を、五層軸部の丈が四層より
高くなっている
*壁付きの大斗と斗が壁内(一層を除く?建物内部だけ)に於いて
斗繰りが無い
(最古の物を知らないが、古い塔に顕著で視角に入らない建物内部
にも外部から見える様に斗繰りを施す、荷重分散の観点から観て
建物内部の斗繰りを行わないのは構造的に発達した構造と言える。
この形状は一概に時代による所でも無いが様々な納め方が有り
時代が下る程本塔のタイプとなる傾向が有る! 塔の内部構造は
時代を経ると共にすご〜く変化、進化している!!)
*鬼斗は古式を表す繰り方
*内部須弥壇円形(来迎壁有り=後補?、高欄無し)
*初重(一層)芯柱有り(須弥壇中央貫通)

他の意匠は多分共通。
 殆どの五重塔の意匠は柱間が狭く成って行くだけで細部意匠等は
共通する事が多い。
そしてこの様な変化の有る意匠の組み合わせは、デザイナー(棟梁)
の意図と考える事が自然に感じる。

〈まとめ〉
 スッキリとした和様を基調に、スラリとしたプロポーション
第一印象で直ぐに心を奪われる「素敵な塔」と言う印象でした。
細部をジックリ観察復習してみると、僕に驚きをもって再び迎え入
れてくれました。
 上層に高欄が無い事、 特徴として装飾をピラミッド型?に下層へ
施し、更に軒反り等にも前述の結果、逓減率以上に上層の視覚的な
軽さとスマート感を獲得していると感じる。
此等の事は最も特筆すべき点として確認したい。
 最初は批判的な意見も書いていたのですが、 結局しらべれば調べ
る程、安直に批判していた事が判り、ひとりで「なるほど!」
瑠璃光寺五重塔と帰宅後も過ごす事が出来て大変幸せでした♡
お陰でベタ褒めな内容になってしまいました。(笑)

前兵衞棟梁は、当時御幾つであったのでしょうか?
他に作品は残っているのでしょうか?
勝手な妄想ですが、これ程迄に前例の無い自分の意図を盛り込める
人物?人格を持っておられる方なので、おそらく高名?有名?な方
だったと想像します、   僕はそう感じました。
少し小耳に挟んだのですが、もしかしたら京都からの大工様?と言う
事をお聞きしました。
修理報告書、誰か譲ってちょーだい! 気長にお待ちしております!!

 どうでしょう?  皆様はどの様にお感じになるのでしょうか?
手持ちの資料の限界を感じながら進めてきた感想ですが、
僕は個人的に現代アートまでとは行きませんが、 当代日本の五重塔建築
に於いて、前衛アーチストと捉えてみたく感じた美しい「五重塔
だと一票を投じます。

 

 

 

 

                        植生

 

 

 

 

オマケ

日本の塔を観るのに便利!

日本の塔-目次

 

 

 

 

 


長過ぎて多分校正がしっかり出来ておらズ、略図も適当〜ですが

記事内容の間違いに気づ付いた人は必ずコメント欄にお知らせ下さい!!!

ヨロシコ!♡

 

今回はここ迄…
まだ調べたい事が有るのですが矢張り本塔の修理報告書が手元に無い
のでなんとも言えないのが大変悔やまれます、 欲しい!
其れと作文を理解し易くする為の写真をもっと沢山列べたかったのですが
著作権等が気になり思う様に表現出来ませんでした。
引き篭もりの行動力の無さも手伝い力不足が否めません、不完全燃焼
と言うべきですが、仕事(生活)が優先の為、夜のお遊びもしばらく
は休まないとマズイ状況で、家族との時間も少し削らなくてはならない
状況です。

 実は、ここまで根気よく読んで頂いた方に申しますと、
現在、「鉋」をやっていますがお察しの通り なんも「鉋」の事を
分かっていません! (笑)
本業のお勉強はまた個人的に何れ詳しく書くつもりですが、
僕の本文は、寺院に関する「宮殿/須弥壇/荘厳具」等のお勉強が
メインとなります。
鉋のお勉強などやってる暇は無いんですけど、職人業もやっているので
避けては通れない事なので嗜みとしてやっています。
残りの課題は、仕事用の「鉋刃」と「鉋台」が手に入れば嬉しいのですけど
道半ばといった具合です。
でも、久し振りに古建築等のお勉強をしたような気に成りました、
古建築シリーズは、このブログではあまり書く事は無いですが、
読んで欲しいと言う内容も有りますが、 「私的備忘録!」
として書いていますので、どうでも良い内容も多々御座います、

それと…

相変わらず、「鉋」民俗学アンケートを採るには寂しい閲覧数になります
鉋や刃物を使う方への閲覧数を伸ばさなければデータとして貧弱な
物に成ります、お陰様でフェイスブック効果は有ったようなので
更なるフェイスブック等のコメント付きシェアーなり、何か? 
の閲覧拡大方法で御協力宜しくお願い致します!

 

また、備忘録的な所が大きい為脱線しまくっていますが、場末の
職人の書くブログですのでご容赦願いたい、
最後まで根気良く読んで頂いた方へひつこいですが

 

     誠にありがとうございました!