感想メモ

令和二年 九月末日~

     大丸有まちづくり協議会シンポジウム    
    『FACE ~対面すれば、生まれる未来。~』
ホームページ        https://face-omy.jp/


👇動画👇
↑R,2  9/30までアーカイブしてる



以下は動画の感想メモであまり人に見せるモノでは無いので
友人の為に一定期間のみ掲載する。

「アート、未来、街の未来とは?」1:58:20
ですが






感想メモは動画後半の、後半のディスカッションだけで
3:01:50~からのモノです。


「コレからのアートとの関わり方」3:01:50~
👆勝手に付けたタイトル…

宜しくお願い致します🙏🙏🙏






※※   👆🤔=自分の考えなどを書いています。







【コレからのアートとの関わり方】
3:01:50~

清水氏~
人間が支えとしているモノは?
〈精神的〉+〈フィジカル(ビジネス~)〉
↓↓↓↓↓↓
👆🤔〈感情の安定要素〉+〈労働(お金儲け)〉
(お金儲け)=???現代の価値観なのかな?


「近代は人をバラバラにした~」3:03~

👆🤔産業革命
➞科学によって宗教が担った要素を
解き明かした結果(ダーウィン~)
宗教の持つ魅力が大きく損なわれた。

↓↓↓↓↓
宗教は、
・生死感や道徳  =〈精神性〉を担う

キリスト教の話しになるが、教えの中に
〈神の創造〉=〈みんな神様が創った〉
しかしダーウィン進化論以降?、
科学が明らかにして行く中、宗教の持つ矛盾点をどんどん明らかにしてしまい
宗教の持つ魅力を剥がして行った。。


もう一つ宗教が担う大きな意味合いとして
〈コミュニティ〉があった、
四世紀の?大司教曰く、
「コミュニティとしての集まりばかりで
信仰心は全然深まらない。。」
こんな愚痴を含んだ記述があるそうな…

それほど宗教を中心としてのコミュニティは
重要とされていた。

しかし信仰心が薄れた事による宗教離れが起こり
宗教コミュニティは同時に崩壊の道を辿った。?


産業革命~メディア未成熟~成熟期】

メディアの役割もコミュニティの一つのカタチではないだろうか?
〈新聞〉
〈ラジオ〉
〈テレビ〉
〈雑誌〉など~
夫々の媒体を軸として、情報に共通項を持ち〈メディア情報〉を中心とした
共感からのコミュニティが形成されて行った。
(学校に行ったら前の晩のテレビの話題をしていた)

然しながら現在のように細分化されておらず
メディア登場からの進化変遷の新鮮さと呼ぼうか?
〈未成熟メディア〉➞〈成熟メディア〉
へと変化(進化?)して行く様の中では
新鮮さは保たれて行き
世代を越えた共通認識もあったので
〈コミュニティ〉として捉える事も出来たと
思う。(昔のマーケティングは全世代な所もあったようです…)

※江戸時代の日本では〈新聞〉〈雑誌〉のようなモノは既に、盛んに!あったが…
(識字率良過ぎ  笑)


【インターネットbefore➞after】
コレらを蹴散らすように大きな影響を与えたのが
〈インターネット〉
インターネット以降の説明は不要だが
世界の情報が共有される方向へ進み
情報も細分化され、自分に合った小さなオンラインコミュニティが形成され
〈広い世代の共通認識〉は現状で想像し難く
家族内でも共通項は乏しく、
インターネット以降へ更なる細分化が進んだのではないだろうか?










-50:02
「モラルの必要性~ビジネス優先すると地球の破滅~
↑コレに有効なのがアートではないか?~」

「想像力が必要(モラル)」
↑自分で嗜好を選択する事
↑アートが、倫理やモラルを身に付ける事に役立つ
↑昔から(江戸時代~)エンタメ等も含め
楽しみからモラルが育まれているのでは無いか?
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
〈清水氏の主張〉



👆🤔何がモラルを形成するか?

大西氏が主張する〈嗜好の選択〉コレに共感する。
〈自分で考え〉〈自分で選択する〉
この作業の中から「何が真意なのか?」が見えてくる。
「嗜好選択の先には➞クリエイティブがあると
云えるかもしれない。


しかし…
〈自分で考え/選択〉の前にもっと大切な事があるように思う、

それは〈感じる事〉=  心を動かされる
こんな場面が最も自発的なモチベーションが生まれるのではないだろうか?
精神衛生上も豊かであり
原動力になると考える。

こうなるとアートに限った事ではないと云う事になる😁

コレは、〈五感(感覚)を揺さぶる刺激〉
という事になる。

口➞美味しい…
耳➞心地良い音…
触覚➞気持ちイイ感触…
鼻➞イイ香り…
目➞かっこいいカタチ…

↑一応書いたが全く陳腐なロジックになってるがぁ…😅
〈お笑い〉のような演芸はコレらに
当てはまらない。

〈初めて飛行機に乗った感覚〉
〈鉋仕上げが上手く行った時〉
〈仕事の道具をかっこ良く仕舞えた〉
〈プチプチが楽しくて最終的に雑巾絞りみたいに「プチプチプチプチー.•*¨*•.¸¸♬」〉

👆は、
自分は何が気持ちイイくて
何が好きなのか?
「何に心を揺さぶられ、感じるのか?」


《清水氏から感じたまとめ🤔》

好きな事から自分を発見し、
其れは〈感じる事〉が原動力になり
そこからスタートするように思う。
アートに限らないと云う事になった…(笑)

しかし、現代のアートがもたらしてくれるのは気持ち良さだけでは無い。
昔は〈気持ちイイ〉が大きなウエートを占めていたかも分からないが、
現代のアートは〈問いかけ〉〈気付き〉としての側面を見せてくれる、

〈漫才〉があるが、新しい笑いのカタチを見せてくれる時もある。
そんな時、漫才もアートになる瞬間だと思う。

〈アート〉とは見る前と後では世界の見え方が
変わる要素が含まれたモノのような気がしている。

「世界観が変わるモノ=アート」

アートは〈気持ちイイ〉〈気持ち良く無い〉
に関わら無いと思うが    (アート=世界観を変える)
出来れば〈気持ちイイ〉く♪
世界観が変わる方が好ましく、
動物的な感覚として
気持ちイイ♪方が、気持ちイイ🎵🥰🥰🥰






〈大西氏〉-45:30~

「アートには精神の平衡を保つ役割もある」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑
👆大西氏主張

=アートに限らないと思う。











〈南條さん🤩😍😍😍〉-44:12

「アートはアーチストから自然発生したモノ」
「アーチストは合理主義では片付けられない視点を持つ」
「人間は合理主義では片付けられない所がある~    -39:00」

「アートは異質性ではないか?」
「異質性とは前例には無い実験」
イノベーションは実験をしていく~」
「コレらの考えは極めてアートの考え方に近いのではないか?」

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
〈南條氏の主張〉




👆🤔
イノベーションとはチャレンジから生まれる
偶然の産物か?


〈👇持論👇〉
持論として若い時から、
「其れをやる時、ソレをやってはいけない」
コレは…

〈例〉
「ベーシストはbassをやっても面白く無い」
・ベーシストがギターをやって、bassに戻ると
ギターのようなbassを弾く。
・ドラマーがbassを弾くとドラムのようなベースを弾く
・ベーシストがbassを弾いても何処まで行っても
ベーシストの枠を超えられない。
ベースの超絶技巧を見せられても
音楽に魅力は感じないし
技術が無くとも素晴らしいbassプレイや音楽は枚挙としてある

再度の例えだが、
音楽をやるのなら
映画を観て
漫画と触れ
文章に触れ
写真を撮り…
他の芸術に触れる事で音楽に豊かさが現れると思っていた。

しかし今では芸術と呼ばれるモノに限らず、
釣りをして
お笑いを愛好し
プラモデルを作り…
他の事であれば何でもよくて
何かに夢中になる事が
本当に豊かな音楽が奏でられるように思う。

結局の所の本筋の好きな音楽は基盤となる事が
確定しているので、
放っておいても勝手に好きでやってしまうから
〈本筋からブレた〉とは思わない、
しかし本筋からブレてはいけない事も無い。

「其れやる時、ソレをやってはいけない」

持論とかっこよく書いたが、
今までそれしか出来なかったし、
今でも大好きな仕事以外に夢中となっていて
偶然??
仕事を軸に全てがリンクしているのが現状だが、
好きにやってるだけとも云える…
ホントの事を云うと、仕事を軸に置いているのは違いないが…  
自分のスタイルに今の仕事が合致しているだけとも思う。
エエと思う…    …  ..      .










司会者さん問いかけ~       (-39:00)
「アートの関わり方が日本と欧米では違うのではないか?」


清水氏~
江戸期のエンタメは禅の思想が背景にあった

美術館文化は近代西洋から日本へ流入し、
〈芸術〉と云う言葉もこの頃作られ
西洋の芸術の楽しみ方を受け入れているが、
日本には〈お茶〉などの楽しみ方がある。

南條氏~
〈お茶〉などは参加型でありワークショップで
パフォーマンスとして現代ではアートと呼べ、
親和性が高い。
しかし、
〈アート〉と〈お茶…〉と切り離して来たのではないか?
今コレを↑接続しなければならないのだろうか?

アートは〈問いかけ〉のようなモノで
アートと呼べなかったモノがアートになっている、
「アートの定義付けは誰も成功していない」
「アートをカテゴライズする事が出来ない」

日本ではカテゴライズし、切り離している側面があるが、アメリカでは〈イノベーション信仰〉のように積極的な柔軟性をもっている、
ソコがアメリカのつよさと感じるが、
日本にもこの仕事姿勢が必要とされている、
子供の教育に必要ではないだろうか?

「アートは違う事が価値」

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
清水氏、南条氏の主張




👆🤔〈イノベーション〉=〈ジャンプ〉(飛び越えた進歩)

↑は芸術家にとって至極普通の事であり
普通の作業であり
コレをする事を目的としているように信じている!☹️

〈例〉
音楽をする時、〈似た音楽を避ける〉
代替え可能であれば自分がやる必要が無くなる。
楽家に限らず〈表現者〉はココを目指す事が
昔から普通の作業である。※1

アートとは?    =   〈新しい価値観〉
赤瀬川原平さんは、
「見る前と後とでは価値観が変わっている」
と仰った。

コレは太古からある考えで、
もしこの考えが違うとすれば、
出土品と同じモノが現在も作られている事になる。

近江商人?の言葉だったような??
「継続ハ衰退ナリ」



補足  ※1
実は代替え可能で新しさが無くても
「自分が気持ち良い表現をする事が適切なのではないか?」
という考えもつい最近潜んでいる。🤔
何方にせよ多くを表現した後にしか出ない答えだと思う。。













3:27~
〈アートandライフ/アートforライフ〉
「アートが生活と密接になり
美術館が不必要になる事が理想だ」

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
南條さん(元世田谷美術館館長さんの言葉)

👆🤔明治まで日本には〈芸術〉と云う言葉が無かった。
日本に於いて”色の名前”の数は多い、
〈必要は発明の母〉である為に
日本人が色に対峙して来た事が伺われる。

〈芸術〉と云う言葉を特に必要として来なかった日本人だが、
周知の通り日本には今云われる〈芸術〉は
昔から発達しており身近に存在しており
芸術が権力の象徴として、
芸術が貨幣の代わりとして高い価値を持っていた事もある。(特に信長さん辺り~)

しかし〈芸術〉の言葉は無かった。
コレこそ美術館の無い世界であり、
芸術が生活と密着した世界観であると思う。
(3:28:27)
因みに先日、「日本には欧米と比べ、
 絵 などを飾る文化が無い」
と聞いた。

そんな事は無く、
日本には床の間や違い棚の装置が当たり前として建築に備わっていた。

しかし、何時しか?※2(1970'前後?)には庶民の家にも応接間が普及して床の間のある座敷も消滅し、〈吊り床〉と呼ばれる名残りを最後に消滅し、
何時しか〈ハレとケ〉の境が曖昧になり現在では一室広間(LDK)の空間となっている。

※2明治辺りの金持ちの家に応接室(屋?)が
造られた事の名残り


蛇足だが…
〈お茶〉は〈茶道〉と呼ばれる、
  茶  に〈道〉が付く
他にも〈道〉が付く、
この〈道〉と云う考え方も日本的なように考えてる、
〈茶道〉の中の一つに芸術的要素があるが
芸術要素も〈道〉として発達している。。

〈道〉については今回は言及しない。(笑)









3:30:18
参加者の事前質問~
「アートとの付き合い方はどうすれば良いのか?」

大西氏~
「出来る事からやってみれば♪」
👆🤔     👍👍👍👍👍

「アーチストの作品を買ってみたら?」

👆🤔 面白い
お金を払って手元に置く事もアートを
身近に感じる手立ての一つとも思える。









3:31:55~
「コロナ渦の人の集まり」について質問


清水氏~
コロナ渦でのzoom飲み会などで満足出来ないと感じる裏には
〈人間は情報を求める生き物である〉

版画での例え~
〈版画〉➞➞➞ 進化版はデジタル
しかしオリジナルが最も情報を持っている
↓↓
「本物のアートが一番情報を持っている」
↓↓
「本物が一番情報を持っている」
↑↑↑↑↑↑↑
清水氏の主張


👆🤔
「本物が一番情報を持っている」
コレは面白く共感が出来るのだが、
コレはアートに限らない!

再生音楽(CD等…)より生演奏ではフルに五感を感じられる。
生ライブに行くと、
・実際の生音は、家の音響システムより大きく生々しい
・会場の空間による空気振動も違う
・会場に居る大勢の観客の一人として観る事にも
非日常としての空気を感じる
・会場での他人との会話や飲食の想い出等も
付加される事もある
・そもそもライブに行く心構えからし
CD等の再生音楽とは完全に違う環境だ。

当然だが、以上は演劇や落語、ダンス~
全ての生パフォーマンスに言える。

しかし…
しかし…しかし…
しかし…     …    .. .


インターネットネイティブはそもそも本物の良さを知らない事が多いように思う。

〈本物の生のパフォーマンスの良さ〉
の気持ち良さを感じ知ってもらわなければならないようにも思う。

〈インターネットネイティブ〉=〈ホンモノ貧困層
とも云えるのではないか?
(※勿論嗜好の問題は個々にある😅)









3:37:25~
南條さん~「群れる事は本能」

👆🤔そのように思うが、自分の中で噛み砕けてないない…









3:38:00~
南條さん~(美術館の視点から)
「量より質への変化があるのではないか?」

【具体】
〈ゆっくり〉
〈広く〉
〈少数〉
〈ガイドを付ける〉
↑〈大勢から➞個〉へ向かっていく

👆🧐〈評価経済社会〉※3が〈個〉に向かう流れを考えると、
美術館の世界にも実装していきそうな
そんな予感をさせる発言だ。

※3  岡田斗司夫氏が36年前??から提唱~
・10年??前から現実味を帯び、
・数年前から意識高い系では常識に(Twitterも大きく影響?)
・新型コロナ~から日本でも完全実装されたと感じた。
・中国では社会の仕組みとして〈芝麻信用〉が活用されている。
👆僕の勝手な解釈😅







3:38     ~:19

「デジタルアートは時世柄伸びるだろうが、
既存のアートの行く末はどうなって行くのだろうか?」
「自分にはまだ見えていない」
~南條氏

↑しかし
・現状でアート作品は売れている
=富裕層が買っている
・テレワーク等での自分の映像の背景等に「アートを入れたい」と云う需要があるようだ


↑↑
もう一つのカタチとして、
屋外へ出かけるアート鑑賞スタイルがある
大自然など…
・完全に個人(一人)だけの鑑賞スタイル
南条氏のプレゼン映像事例~


👆🧐この問いかけは大きな自問でもある。

《デジタルでは無い➞リアルで物理的なアート作品や工芸品の行方~》

自分は最新テクノロジーとは無縁と思われるような
古臭く時代遅れ?の仕事をしている。(~仏教荘厳具~)

AR,VRは技術の進歩と共に加速し、
物理作品をしのぐ世界も再現する世の中が訪れると確信している!💪??(既に…😅???)








🤔🤔自分の仕事《荘厳具、工芸品…  》
物理作品などについて~

時代遅れ(進歩の欠如)な産物とも思えるので
撤退すべきコンテンツとも思えるが、
間違い無く古臭い技術でも新しい表現はまだまだ秘めていると確信している。
チャレンジして飽きさせない方法で魅了する
表現を怠ってはいけない!



しかし人を魅了し需要があるだろうか?
自分の仕事だけにクローズアップすると

「本物が一番情報量が多い」
間違い無く云い当てているとは思うが
果たして何処まで通用するのか分からない…

自分の仕事でもう一つの特徴として…
〈技術習得に時間がかかる〉
技術習得の分野でも特に時間がかかる方に入る。

現代では〈高効率化〉=面倒なコスト削減?
が求められ
手っ取り早さが持て囃される。
👆其れだけに突出して”技術”が必要な僕の仕事は浮いた存在としての仕事となっている…
(不必要技術や技術自慢はキライ🖕)

おそらく希少価値ではあるが
価値の活かし方が全く分からない…😱😱🤪😳😭😁😅

〈物理的オブジェクト〉がどのように現代に受け取られているのか
全く判っていない😂😂🤣🤣🤣🤣🤣😁

誰か教えて欲しい…    🙏🙏🙏



👆👆👆👆👆👆
このテーマは保留…
時間かけて考える。。🙏🙏🙏

















3:40大西氏
「オンライン上での付き合いが多く
オフラインのリアルな関係が薄れているが
脳の中ではオフラインと割り切れない処理が、行われているのではないか?」

↑ネットの人間関係はリアルと同じでは無く何かが欠落した環境だが
それを見越して欠落を補う「何か?」が働いてるのでは?
(👆🤔期待の思考?😁笑  )


👆🧐本物に勝るモノは無いように思うが
引っかかっる発言と感じる。
僕もこの考えは気になっており謎となっている。。



【まとめ総括】
3:42:30
アートの未来はどうなる?

清水氏
VRの発達
・都市の中で見れるアートが増えればイイのになぁ~
・現状ではまだ見えない

南條氏
・例~
バクテリアの研究で、屋内環境での善玉菌/悪玉菌の育ちやすい環境を調べたモノがあり、
人間の居住環境を良くするために
この研究を元に建築のデザインも研究結果を元にデザインするのが良いのではないだろうか?」

👆🧐コレは…
世界中の古い建築に於いては太古から実践されており
近代に入って価値観が変わり
崩れて行っただけであり
古建築を学べば良いだけの問題と思う。

この研究は調べたら
「結局は古建築に回帰しちゃった…    エヘッ😅」
みたいな話しと感じた。
日本建築に於いてのみ観察してみても
日本列島は南北に長く、
日本だけでも全く違う様相の「建築が大地に萌芽する」
コレは〈植生〉としか表現出来ない!
建築は生物ではないが〈環境〉〈植生〉の観点から土着の建築を観ると
その形態は植生から生まれた生物のように洗練された機能由来の形状を現す。

コレは建築に限った事では無い、
文化全てに云える事である。

「文化は植生より萌芽し育まれる。」

 



南条氏続き…
・「コロナにより哲学的に考えが変わってきた。」
・「人間の経済優先な考えが地球を破壊して来た
コロナはこの考えを見直すような存在として映る。」
・「コロナをきっかけに様々な価値観を見直す時ではないか?」

(コロナ=危機)


大西氏

都市の設計~
〈都市のドーナツ化現象〉のようではいけなくて
活性化された状態が良い。
コレにはアートを持ち込みアートで活性化させるのが良いのではないか?


👆🧐
”人間視点”がどうも僕には気になり、
”アート視点”が気になった。
個人的には”文化”全てが人間を豊かにすると考える。

アートも広い意味がある事は理解出来るが、
文化と云う表現の方が適切に感じる。
自然と対峙する姿勢も含まれるし宗教も然り…


~🤔🧐~
急いで創り上げた”にわか”文化は
歪みが出ると考える、
文化は長いスパンでないと精度が現れない。
生物の進化を考えると容易なのかもしれない。
一世代で完成出来るモノでは無く、
世代を繰り返しその時の環境に適応した
生態(形態)からしか、
精度の高い形態は生まれないと確信する。

👆🤔
結局のところガイア理論として
「地球の歴史から現状を見る」と、
ミクロ的でもマクロ的でも、人間はチリのような存在であり、
人間が地球を汚すのも必然のようにも思う。
(〈手付かずの大自然〉と云えば人間が介入していない状態を想像するが、
残念ながら人間が地球を破壊するのも〈地球の歴史〉として
至極当たり前の〈手付かずの大自然〉と解釈してしまう。。😭)







【最後の僕のまとめ~  🤔🤔🤔】

今は、登壇者のようにシッカリと有意義に
「今を生きる」事が最も重要だと思う。



終わり

お疲れ様です。。😅😁🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏