30,10/13『隅木瓜網紋様欄間 材.神代楠』 2
予想通り図面に時間掛かった、
七度目でやっと納得行くカタチに落ち着いた。
とりあえず、基準となる組子角度で印象が”ガラリ”と
変わってしまうのでまぁまぁ悩んだ。
『角屋網紋様欄間について』
正解など無いので何でもエエネンけど、角屋さんの
組子角度は、45°ぐらいかな?
多分45°やけど、おそらく”45°ありき” のデザインと成ってる。
多分《組み子の割り付け》
・建具の高さと天井高さ決定
・長押の丈決定
・付け書院には格上とする為に長押より一段上に横材?を入れる
・其の下に見た目の納まりの為に廻り縁を配する
・欄間を配するが、なんとなく左の長押との納まりが良くないので
アリ板を配する。
・長押下面を欄間上面として位置が決定
・〈組み子角度45°〉に決定、
・上記により〈欄間高さが割り出される〉
・〈欄間巾は付け書院の寸法割り〉から決定、
・欄間寸法決定後、下に火灯窓を配する
詳細ではないが“大雑把”な設計者の意図はこんな流れ?
僕の好みとしては、組子の見付け(巾)が細く見える。
全体のバランスも相まって間延び感を感じるなぁ、
ん …
しかし、しかし、なかなか難しい処で、組子の巾を
太くする事が出来ない …
太くすると、「上品さと繊細さが失われる」
“周りとの調和”にも関わるし、浮いた存在になっては
元も子もない、調和の採れる範囲内で調整しなきゃ
ならん、
だから組子の巾はほぼ決まっているようなモノで、
組子巾の大きな変更は出来ない。
「間延び感を軽減するには?」
組子の基本軸となる角度を45°では無く”より鋭角”とすると
欄間の高さが低く抑えられるので間延び感が軽減される。
火灯窓の高さも少し高く出来、カッコよく成るので都合が良い
火灯窓の両サイドの板面積が広いのでソコも改善したい処だ。
屋内全体との調和もはかれる。
火灯窓の全体なデザインは近世っぽい、火灯曲線 頭の雰囲気は
鎌倉時代辺りのモノを持ってくる方が上品と成りそうだ。
下脚元の曲線は概ね良好と感じる。
「言い出すとキリが無い」
若干だが欄間上下位置を長押下面よりズラしたい、
其々の部材寸法も若干ながら変えたい 等々 …
勿論僕の好みであり他人の好みでは無い。
〈自分の好み〉を提案し、※施主様の好みを充分に採り入れる※
この事で良いモノが納められる。
上記の 「僕の好みであり他人の好みでは無い」
コレは大きなキーワードです!
例え、自分が勉強して知識や経験を積んで卓越した審美眼を
有したとしても ”大したこと無い” (笑)
「御客様の喜ばれ納得されたモノが最高のモノ」
当たり前の基本と成し、この仕事に限った事では無い。
(職人の経験を促さなければ成らない事もあるけど …)
※然しながら※
「 自分好みの確立は最重要と成るが(基本的な指針軸)、
必ずしも万人が好むとは限らない。」
是が、〈日本人の好みを考える〉ひいては、
〈日本文化を考える〉日本文化の根幹に在るものを考える。
たどり着くのが【植生】と言う事になる。
極めて僕にとって重要な内容へと発展してしまった。
次回は横道に逸れないように努める (笑)
30,10/13『網紋様欄間』 1
ややこしい仕事やぁ
参考写真「角屋」
[今回の寸法]
「80㌢×15㌢位」との事
[設置場所]
床の間、付け書院の垂れ壁の中央に埋め込む。
〈材〉
施主様の材の好み
「色の濃い唐木のようなモノが良い」
=濃い色の少しテカり気味(硬木)
こんな感じ。
、
兎に角! どうせ他所で断られてウチに漂着した
んやろうけど手間ばっかりやんけェ !
でも、何時もの仕事とは毛色が違ってあんまり無い
仕事やし、新鮮な萌え方をする💗
とりあえず欅材の予定やったけど色味が「濃いの」
という事で、違い棚の古材で丁度良いのが有ったの
で其に決まった。
材=神代楠
ややこしい序でに依頼者がややこしい、
背は高いめの祇園町に住む女将で、店では着物着て
はる、 でも本名は男 何よりも 「ブーブー」
言いやがる 、、、
オマケに良く出来た話しで、
代々◯百年続くオカマ師の方から紹介してもらった御方
手間かかるでェ~
削ろう会誌から『大工道具に生きる』 香川 量平棟梁様 著出版される!
来たぁー!
待ってたぜェ!
削ろう会から届きましたぁ!
また横 …
『大工道具に生きる』 香川 量平著
「喜んで居ります。」
何を喜んでいるかと言いますと、
御歳八十八才(1930年 昭和五年生まれ)
どうです?
昭和一桁の勉強熱心な大工の情報ですよ!
当然ながら其以前の先輩(明治~大正)に育てられた叩き上げの
情報が詰まった「生のタイムカプセル書籍」ですよ!
そんな方は存在するかもわかりませんが、???
隣にはなかなか居るモノではありません!
話しを聴く機会なんて有りません!
たとえ機会があったとしても今回の情報量は
手に入りません!
もし忘れたとしても書籍なので繰り返し確認する事が
出来ます。
どうでしょう?
香川棟梁の記事は、 「一昔」?
そんな内容では無い!ような気がします。
「古」(いにしえ)
と呼ぶに相応しい内容と僕には映ります。
香川棟梁の大工としての環境が偲ばれますし、
何より其を吸収されてきた研鑽が具に読み取れます。
どうでしょう?
今となっては古臭い話しなのでしょうか?
僕にとっては新鮮で生きた欲しい情報が多く、
以前にも書きましたが、民族学的な側面も色濃い内容で、
資料価値もあり、ホントに貴重です。
今回めでたく書籍化されましたが、色々有りますので
新に違ったカタチでの書籍化は難しいと思います、
今回の書籍は大 変貴重なモノと成ります
僕には質も量もボリュームが有りますので大満足です!
在庫の有るうちに興味の有る方は是非とも手元に置かれる
事をお勧めします。
削ろう会価格で¥1000+送料
(削ろう会に問い合わせて下さい)
印刷代と経費位なんちゃうかなぁ?
よく「先は長くない」と言っておられる。
まだまだ僕達後進の為に頼みます!
そして「若い方に伝え残して行きたい」というお考えを
お持ちで、有り難い限りだ。
お逢い出来る機会の有る方は質問事項のメモを貯めて、
臨んでみてはどうでしょう?
香川棟梁であれば喜んで応えて頂けますよ!
そんな御方です。
敬具
伊藤譲一さん 「科学とデザインがもたらす複雑性への考察」 の感想文 9
技術革新や大量の情報もたらす世界は、
どんな世界だろうか?
技術革新は、オモシロイ世界を見せてくれると思う。
しかし、又新たな技術革新が起こり、次の世界へ
導かれる。
常にアップデートの繰り返しが続いて行くモノと
思われる、 異常な速さで (笑)
溢れ便利な世の中で人間は何を求めるだろうか?
人間(動物)特有で、普遍的に求め続けるモノが有る
ように思う、良利便性への反作用として …
其は、
〈本物〉〈アナログ〉〈生・ライブ〉こんなモノが
恋しくなるように思う。
〈生・ライブ〉は素晴らしい経験で
〈 生(ライブ) 〉等を経験する事は代え難い経験で、
「本物を観る事は特別である」この事はいつの時代
も変わらないと感じる。
「生」「ライブ」「本物」とは何だろう?
つづく
伊藤譲一さん 「科学とデザインがもたらす複雑性への考察」 の感想文 8 『日本人の感性』
「息子への個人的な連絡事」
多分このシリーズは個人的な考えなんで、
誰が読んでも、「オモんない」と思うまする。
日本文化に興味がある方へ
『日本人の感性』
「貴方は日本人です」 そして、
「グローバルとはローカルの集合です。」
話しはデカイが内容薄い、
日本人的なエピソードを書いてみます。
世の中は希少なモノに価値を見出だします。
「レア物にプレミアが付く」
理解出来ると思います。
性能が同じでも色が違うだけで倍では効かない高値
が付きますよね
「レア物にプレミアが付く」
暇やったら?落語に出てくる好例があります。
良ければどうぞ!
「はてなの茶碗」
でェ、
「有名人が使った」というプレミア物で重要文化財
までにのし上がった代表例? を上げてみます。
庶民が使う、ただのあり溢れた雑器の茶碗に美を見出
だし、こよなく愛された茶碗があります。
コレが、重要文化財「大井戸茶碗 銘 有楽」
どう?
レア物でも何でも無いネン(笑)
この大井戸茶碗を保管する箱に、有楽斎が銘書き
しただけのモノで、元はあり溢れた雑器やネン (笑)
(同じ大井戸茶碗で国宝もある)
モノはエエもんやで、でも … (笑)
そういう事やネン。
国宝『曜変天目茶碗』
キレイやろ?
何とも言えんキレイやろ?
見え方も玉虫色で奥行があり深みがあって、
エエもんやで、「誰が見ても魅力的やで!」
世界に曜変天目茶碗は三つしか無くて、ソレは
全て日本に在り、全て「The 国宝!」
「The 国宝!」「誰が見ても魅力的やで!」
実は、本当は、 たいした事無いネン (笑)
? ? ? … ?
何が大した事が無いか?
“ 世界に曜変天目茶碗は三つしか無くて ”
↑
ココが大した事ない
実は三碗とも輸入品で国産では無いのです。
なのに創った本国ではカケラさえ見付かっていない
のです、 不思議でしょ?
(実は、近年一碗の割れたモノが発見されている)
日本では全て国宝に指定される程の価値を見出だし
ているのに?
「どういう事なのか?」
答えは簡単で「曜変天目茶碗は良くないモノ」
この様に創り手に映ったのでしょう。
良かったら沢山作って、世界に三碗という事は
無いで。
多分、失敗作の一つ位にしか値しなかったんじゃ
無いのかな?
シルクロードによる様々な国の人達も、目を付けなかった
代物だったのかも知れません。
でも日本人は其処に価値を見出だしたんです、
制作者達の感覚と “ズレ”てるのかな?(笑)
至極日本人的な感覚だと思います。
庶民が使う雑器を、確固たる審美眼によって
美を見出だした所も、同じ日本人として
オレ関係ー無いけど、誇らしく思います。
「非対称の美」
「未完成の美」
「不完全の美」 = 詫び錆び
〈わびさび〉は他にも要因が在りますが、日本人の
感覚には完成された美やシンメトリー(左右対称)等
より "非対称" を好む気風が在ります。
オリジナル法隆寺のお寺の配置(若草伽藍)はシンメトリーです
が、二代目(現在の西院伽藍)は、非対称の配置です。
既にこの頃にも日本人には”対称”に満足しなかった
と言えるように思います。
建築の配置で有名な非対称に、〈二条城〉が有ります。
非対称の極みのような配置で、カクカクした配置で
クランク状の平面配置は、雁が連なって飛ぶ様に例えて
「雁行型」と呼ばれます。
西洋の庭園と日本庭園を比較するとあまりの違いに
驚く筈です。
西洋= 完全に制御(コントロール)した庭園
(シンメトリー、統制が取れてる、余白が無い)
日本= 一見無秩序??だが、計算された不規則で、
不完全な美意識。
(アシンメトリー、余白だらけで理解出来ない
モノもある 笑 )
日本の城も対称に見えますが、以外とちょっと違う
事がよく有ります、海外の建物と比較して観る時が
あれば観察してみて下さい、何か感じる事がある、
かも?
以上の感性の違いは、途中になってしまってる
『日本美の探求』シリーズの「植生」に関して書い
ています、
「植生」は、長ァ! っ ぐぅあーい 事考えてるテーマやネン、
暇な時にでもブログ見といて、必ず時系列に !
まぁ、上げたらなんぼでも出てくるわぁ… (笑)
前述二例の茶碗エピソードは、「良し悪し」を
判断する感性の違いを顕著に現した好例として
上げる事が出来ます。
至極当然なのですが、日本人にしか無い感性が、
僕達の ”血” の中には脈々と流れています。
気付かないうちに…
僕達を含む、外国の街並みや異文化への新鮮な眼差
しは、「みんな違ってみんなイイ♪」から始まって
います、だからこの「日本人の感性」を大切にして
下さい!
全ての個性は特別で、
全ての民族は特別で、
全ての異文化は特別で、
日本の文化は特別です。
貴方の個性は特別です。
でェ、
「技術」と「日本文化」を逢わせたら
何になるのかな?
「グローバル」とは何でしょう?
伊藤譲一さん 「科学とデザインがもたらす複雑性への考察」 の感想文 7…… 30’10月初旬
「息子へ綴る内容です。」
(30’11/2 このシリーズ、馬鹿みたいに文章書いてるみたいで
内容がぐちゃぐちゃに成ってる! 相当ヤバくてまとめられるか分からん?)
先ず今後の有り様についての感想やけど、
ヒトは 〈鉄〉を手に入れた。
其は大変なインパクトであったと思う、
道具というカテゴリーに留まらず「権力」「神力」
とも言える程の〈力〉であったであろうと思う。
そして〈機械〉の発達。 (産業革命~)
上記は例えとして、90年代頃までは〈機械〉の”例”のような進歩で
あったように思う。
例えば物質の革命イメージですが
(※イメージです!)
「素材 (鉄) → 素材+工作技術 (機械)」という ”イメージ” だろうか?
これは、ムーアの法則の範ちゅうに属するモノであると思う。
しかし、伊藤さんの考察では、
というイメージだろうか?
これは、ムーアの法則の範ちゅうを超えている、
18ヶ月で2倍のスピードを超える新たな法則が生まれる予感がする。
伊藤さんの提案は、〈NEW WAVE〉と呼ぶに相応しい提案だと感じた、
世の中の新しい標準となる可能性があるように思う。
テクノロジー+技術革新 =《新標準 NEU!デファクトスタンダード》
この話しは「モノ作り」に限った事ではなく、”あらゆる進歩”に関わる
内容だと感じる。
しかし、”あらゆる” と宣ったが、人間は、動物としての普遍的な本質は
変わらないと思う、
「何処まで行っても動物である」
テクノロジーに囲まれても、その中に居るのは “ 動物” である。 (笑)
此は何かのヒントになるのではないかと想像している。
次回から"日本人の感性" や”感情的”な処について考えてみる、
範囲が広いので、極僅かなテーマについてしかやらない。
文章は9割出来てるんやけど、全体をまとめるのが大変やわ …
No,20にはならないと思うけど? ?
10/29「般若心経オノマトペ化説」に異論アリ!
こないだの思い付き持論、
「般若心経オノマトペ化説」に異論アリ!
オノマトペは基本的に擬音,擬態語等である!
因みに オノマトペの記述として一番古いのんが
古事記で、「しおコオロコオロにかきなして」
(原文読みやけど ※平仮名じゃ無い!)
文脈よりの訳から~
〈塩と泥(沼?)を "コオロ コオロ" と掻き回して〉
見事! 神話の時代の表現に既にある。
日本人にとって、オノマトペ は馴染みが深い事は
間違い無い。
でも … 「般若心経」は擬音,擬態語か?
いや、違う!(と思ってる)
前回のブログの時にも実はハッキリと感じていた事
なんだけど、話しが長くなるし、面倒だったので
書けなかったんだけど、
僕の解釈として、般若心経を無心に唱え続けると、
般若心経の意味など考えズに?考える事などせずに
ただただ唱える事を集中し、その唱える先に無心が
生じ、 気が付けば? 気が付きもしない状態?
其れこそ真の「空」となる
この様な考えが在りました。
☝をどの様に理解したかと言うと?
僕自身、邪念の塊で、恐らくの(持論.説)として、
僕(身体)を構成する原子全てに「邪念」という文字
が油性で書かれて在ると信じています、 しかし!
何故か集中する時は異常に集中する時があります。
仕事での作業中で、
「上手くやろう」「慎重にやるぞ!」とか意気込ん
でやる時より、「なんにも考えんと仕事やったら、
キレイに仕事終わってた」みたいな時が、まあまあ
有る … 「なんやネンそれ!」(笑)
逆に何も考えずにやったらヤッパリ同じ結果で、
普通にキレイな仕事が出来て行く。
流石に気は引き締めてるけど、テキトーな目検討で
やった方が、実に上手く行く。
なんで慎重にした方が上手くいかないのか分からん
が、結果はそう出る 「此は何だ?」(笑)
何やよう分からん?
〈緊張感+無心〉 = エエ仕事
適度なリラックスとは力を抜いた〈無心〉という事
なのか?
こんな時に、こんな状態の時に「無心」を感じる。
僕にとって「無心」は、正しく「空」だと感じる。
この事が唱える事により得られる「空」なのか?
と、考えたりしてた。
実際に禅宗で行う修行で得られる感覚は、僕の感覚
と極めて近いように思うんやけど、どうなん?
どうなんやろ? よく知らんし分からん。
でもこうなると、「般若心経」で無くても落語の
「寿限無」でもエエという事になる。
一休さんの雑巾がけでもエエわけやし
でも、僕やったら序でに有り難く思ってる般若心経
を覚えられるし、一石二鳥やし「唱えるスタイル」
で「空」を感じたいなら「般若心経」を唱えるかな
然しながら、ココ迄言っておきながらやけど、
“音で理解”(オノマトペ)する事に長けてる日本人で
あれば尚更の事に改めて”音で理解する” 方法は特に
日本人に馴染み易いようにも、
思うんやけどなぁ~
どやネン! ? (←僕へ向けて)