10/29「般若心経オノマトペ化説」に異論アリ!
こないだの思い付き持論、
「般若心経オノマトペ化説」に異論アリ!
オノマトペは基本的に擬音,擬態語等である!
因みに オノマトペの記述として一番古いのんが
古事記で、「しおコオロコオロにかきなして」
(原文読みやけど ※平仮名じゃ無い!)
文脈よりの訳から~
〈塩と泥(沼?)を "コオロ コオロ" と掻き回して〉
見事! 神話の時代の表現に既にある。
日本人にとって、オノマトペ は馴染みが深い事は
間違い無い。
でも … 「般若心経」は擬音,擬態語か?
いや、違う!(と思ってる)
前回のブログの時にも実はハッキリと感じていた事
なんだけど、話しが長くなるし、面倒だったので
書けなかったんだけど、
僕の解釈として、般若心経を無心に唱え続けると、
般若心経の意味など考えズに?考える事などせずに
ただただ唱える事を集中し、その唱える先に無心が
生じ、 気が付けば? 気が付きもしない状態?
其れこそ真の「空」となる
この様な考えが在りました。
☝をどの様に理解したかと言うと?
僕自身、邪念の塊で、恐らくの(持論.説)として、
僕(身体)を構成する原子全てに「邪念」という文字
が油性で書かれて在ると信じています、 しかし!
何故か集中する時は異常に集中する時があります。
仕事での作業中で、
「上手くやろう」「慎重にやるぞ!」とか意気込ん
でやる時より、「なんにも考えんと仕事やったら、
キレイに仕事終わってた」みたいな時が、まあまあ
有る … 「なんやネンそれ!」(笑)
逆に何も考えずにやったらヤッパリ同じ結果で、
普通にキレイな仕事が出来て行く。
流石に気は引き締めてるけど、テキトーな目検討で
やった方が、実に上手く行く。
なんで慎重にした方が上手くいかないのか分からん
が、結果はそう出る 「此は何だ?」(笑)
何やよう分からん?
〈緊張感+無心〉 = エエ仕事
適度なリラックスとは力を抜いた〈無心〉という事
なのか?
こんな時に、こんな状態の時に「無心」を感じる。
僕にとって「無心」は、正しく「空」だと感じる。
この事が唱える事により得られる「空」なのか?
と、考えたりしてた。
実際に禅宗で行う修行で得られる感覚は、僕の感覚
と極めて近いように思うんやけど、どうなん?
どうなんやろ? よく知らんし分からん。
でもこうなると、「般若心経」で無くても落語の
「寿限無」でもエエという事になる。
一休さんの雑巾がけでもエエわけやし
でも、僕やったら序でに有り難く思ってる般若心経
を覚えられるし、一石二鳥やし「唱えるスタイル」
で「空」を感じたいなら「般若心経」を唱えるかな
然しながら、ココ迄言っておきながらやけど、
“音で理解”(オノマトペ)する事に長けてる日本人で
あれば尚更の事に改めて”音で理解する” 方法は特に
日本人に馴染み易いようにも、
思うんやけどなぁ~
どやネン! ? (←僕へ向けて)