『日本美の探求』 4 『建築の日本展』から   職人の感想文 4 なのだろうか?



 『視覚制限される事の変化』

       (日本人的な感覚)




3,  見えない = 視える     (初めて使った単語やわ)

 

静止しながら景色を愉しむ

しばらくしたら、

 

「もうチョイ向こう  どうなってんのん?」



視覚制限された情報の文脈から、積極的に他の情報を知りたくなる。

とりあえず隠されたら見たくなりますよね、

 「 みんなそんなもんでしょ!」

自然と体は前後左右に移動し景色の移ろいに感嘆

         現れては消え   止まって、      また  …

 

    おぉ ~ー   ッ  萌えェ~~~~~ 💗

 

「萌え」とは純粋な日本語として相応しい日本語だぁ !







「 もうチョイ向こうは                           」

                                                    ↓

                                               空 (クウ)

 

   「空」 ”無い世界”  は興味を誘い際限無く思考は広がっていきます

 

   「無い=有る」

   「有る=無い」




有る世界は無い世界

無い世界は在る世界




 

日本人は分ける事をあまりしてこなかった





『日本美の探求』 3 『建築の日本展』から   職人の感想文 3



『屋内から庭を眺める』

 

※僕の感覚です!



 

   書院等の庭園は大きくて立派です。

一般的な観光で大抵の鑑賞方法は、建物の縁を歩み

縁からその全貌が ”全て”見渡せます。

 

智積院

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しかし一旦屋内の畳敷きの部屋に入ると、どうなるでしょう?

 

youtu.be

 

しかし通常襖や明かり障子等の建具が備わっていますので

更に見える範囲は ”限られ” てしまいます。




 

  『視覚制限される事の変化』

 

1,  情報量

 

[全体を観る] =  視点が多い、情報量過多  → 細部に注意を払わない=僕の頭処理困難

※ かといって「全体を観る」事の否定ではありません!

デッカく見たら壮観で、全体像からしか伝わらない感覚が有りますものね

 

[視覚制限]       =     一極集中、情報少 →    お手頃な情報量




2,  「額」効果

 

建物や建具が、コントラストのあるシルエットとして、さながら絵画の額の様に

風景は引き立てられる

 

〈景色〉と〈切り取った “枠”〉のメリハリが強調されている理由の一つには、

単に明暗として別れたという理由ではなく

 

 ”屋内から観ている” という意識から生まれる       “外の世界” 

 

このような先入観が潜んでいるようにも感じ

  なにか  ..          覗いているようでちょっとした特別感がある







 

 

 

 

 

 

                      源光庵                   ←ポチッ!

 









 

 

 

 

     つづく …          4

 

 

 

 

『日本美の探求』 2 『建築の日本展』から   職人の感想文 2






『日本的なモノ』

(個人的な主観で、日本文化のほんの一面です。)










英国人の漆芸家の本の中に興味深い記述が有りました、
彼女は日本の漆芸を勉強しに日本に来られたそうなんですが …





  来日当初は東京に来られたそうなのですが、日本のイメージとは違い、

戸惑っておられたようですが、そんな中でも日本的な事を勉強する為に

水墨画の教室に通われたそうです。

  

水墨画教室で、お題として「花」を描いたそうです

上手く描けたので先生に見せたところ、 × を付けられたらしいです

自分では上手く描け、美術大学で学んだ自負もあり

「何故?」と疑問を感じたそうですが

 

先生曰く、

 

水墨画では画面いっぱいに対象物を描かないの、

   “余白を入れたり、はみ出したり” させて奥行きを持たせるの 」

 

どういう事かと云いますと、

対象物を画面いっぱいに描いて其の絵を完結させるのでは無く、

余白等を入れて画面以上の広がりのある世界を表現するという事です。



 

 

彼女は日本的な感覚を感じた出来事として心に残ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

        つづく…

 

 

 

 

 

「イクオちゃん」の布石



始めて「屋内”ウルテ”パーティー」をイクオちゃんと行った



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過去の写真を持ってきてもらった

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悪たれ ikuo  写since18才(退学直後)~

最since (20年前?位?  skaのBadMannersとのツアーにてバスターと一緒、

ちょっと羨ましい)

 

大分悪いッコ!

 

 

 

この後僕が小指で触れたら、その勢いでコケて過失致死に至る程ベロベロに酔って居られたイクオ氏

玄関前30㎝まで送り届けたが、ちゃんと帰れたのか不安で仕方ない。

(冗談では無い)







3時過ぎやし寝よ





『日本美の探求 1』 『建築の日本展』から 職人の感想文         1

     

 

『建築の日本展』~その遺伝子のもたらすもの~

(30’8/28出張先東京)




 

僕の主題    

   「何が日本的であるか?」

 

何が日本たらしめるモノなのか?



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(イクオちゃんに似てる)

 

youtu.be

 

この展覧会では古代建築から現代までを同時進行させながら、

日本建築の「日本建築的な要素」に注目をおいて脈々と受け継がれて

行く様を展示してくれている。

 

01可能性としての木造

02超越する美学

03安らかなる屋根

04建築としての工芸

05連なる空間

06開かれた折衷

07集まって生きる形

08発見された日本

09共生する自然

 

これだけのテーマがあり、何れも注目すべきテーマであり、今まで観た

展覧会の中でも凝りに凝った内容で、森美術館がどうも凄く精力的で

先進的な素晴らしい美術館である事に圧倒された。

(図録がまた圧巻!)

近くにこれ程の内容を提供してくれる美術館が思いつかない、

森美術館は、精力的で先進的な美術館だ。

 

 

   話しが逸れたが、矢張り僕らしくどうしても注目してしまう内容

と言えば、「日本人の自然観」に興味が行く。

各テーマの中にも大なり小なり、「温暖湿潤気候」と、地球の0.25%の

陸地面積で在るにも関わず、世界で起こる大きな地震の20%を担う

地震大国」の特色等が垣間見れる。

 

  そして新たな自分への課題も考えさせる事になった。

それは「日本人の”無常観”」である

もっと早く気付くべきだった

 無常  の存在は結構前からあったのだけれど、日本文化として意識的に

考えていく事を何故か行ってこなかった

思い返せば日本人の無常観に関連する出会いは今迄沢山あったように思う

 

 いやッ   、  どうも山盛り在る          ミスってる …         繋ぎ合わせなぁ

 

しかし展覧会を見終わった現在に思いたったテーマである為に

今回の展覧会についてはなんとも言えない  (笑)





兎に角、かいつまんで「日本人の自然観」を観てみる

 

 

「共生する自然」とありますが、「自然と共生する」という表現でもよいはずです、

しかし「共生する自然」としています。

「自然と共生する」とは、自然を受動的に受け入れた印象を与えますが、

あえて「共生する自然」と表現し、日本人が   ”能動的に自然と関わってきた”

という事を強調する意図を感じます、     

       伝えたいという気持ちが伝わってきます

 

  個人的には、矢張り日本人の自然感として “受動的”  な感覚が大きく寄与

していると思っています。

“根本的” な理由として、「圧倒的"な厳しい自然」と「圧倒的に豊な自然の恵み」

此を前にした動物的な感覚と感じているからです。



 

    建築で開口を設け「光を採り入れる」事に関しても、

西洋では主に”明るさをコントロールする為の装置” として設計されおり

  “用” の設計と感じますが、どうも日本人は明るさだけでは無く、

”自然” も積極的に採り込んでいるように感じます。

 

   現代では、最近売れっ子の照明デザイナーの 東海林 弘靖さんは

新生児室で胎内をイメージした照明にし、屋内に居ながら

間接照明を用い、一日の日照変化を再現しておられます

  此を提案した病院の先生が凄いです。

 

http://lightdesign.jp/sommelier/vol_30.html

 

 

 

 

 

   「日本人の自然の採り入れ方はダイナミックです!」   (笑)

借景が一つの良い例と思います、

 

youtu.be

 

 無燐庵

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しかし日本人的に、更に日本人的な感覚を推し進めた表現が

孤篷庵の茶室「忘筌」(伝 小堀遠州好み)  なのかも知れません。

 

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どうでしょう?




 

 

 

 

 

    つづく… 

 

 

 

 

 

 

どう思う?  !! (ただの愚痴ブログ)



ホンマ  どう思うッ!!!!




先日東京駅の改札口の"駅員"さんに

 僕 「公衆電話は何処にあるでしょうか?」

駅員「ん~ ???」

 僕 「ホーム構内にありますか?」

駅員「無いです。            、、、 この辺りに無いです」

 僕 「車内にありますか?」

駅員「無いです、緑の窓口が詳しいので聞いてみて下さい。」

〈緑の窓口〉
 僕 「公衆電話は何処にあるでしょうか?」

駅員「ん~  ??」 ?    
(上司に聞きに行く~)  
駅員「真っ直ぐ行って右側の出店みたいな所の横に有ります (^-^) 」

 僕 「車内には有りますか?」
(上司に聞きに行く~)  
駅員「改札口に入ってすぐ左に有ります  (^-^)(^-^) 」

 僕 「ありがとうございました。」


あんまり外出しないので世の中の事を知らないのだけど、
少なくともJr東京駅の新幹線改札口で公衆電話の場所を訪ねる方は
マイノリティと呼ぶに相応しいようで、
いやっ!  日本の"首都"の高速鉄道の駅員さんに限らず
大体の駅で感じる事ですけど、公衆電話の数がすごく少ない
普通の駅は無い事が多い。
って言うか、公衆電話は車で探してもあんまり無い、
あるとしてもデッカイ道に面して時々有る。

携帯電話デビューが停滞している僕達にとって大変困る!

僕のまわりで、携帯電話持ってない友達もいるけどなぁ~
「イクオちゃん」とか

公衆電話ってどうなるのかな?

イクオちゃんと僕はどうしたらエエねんやろ?





  それと蛇足やけど、インターネットの世界では、
あるサイトで超優良ユーザーであっても、制度が変わって
携帯電話番号の登録が無いと使用出来なくなり、
実績より "携帯電話番号登録を信用する" という事が
有る。

規格外であると弾き飛ばされるなぁ~
なんか記号の管理は、人との繋がりが希薄になってしまう気がする。
  
   意味が違うけど、容姿も一つの記号と思うけど、
大概の詐欺師はスーツ着てると思うし、
作務衣着てたらそれっぽく見えるし、
日本人は"特に"見た目や肩書き等を重要視する傾向があると思う。


  ある海外の大学周辺でヨレヨレの服を着ていてボロボロの自転車を
乗っていたら「凄い人だ」と尊敬されるらしい
(大学周辺で、そんな人は大概ノーベル賞受賞者の確率が高いらしい)
  ある海外での肩書きの無い研究者の扱いは?
「君は自分の研究室を持っているのか!」
(日本じゃ肩書きが無いと相手にされない)

         茂木健一郎さんが仰られてた。

僕なんか見た目が変やから仕事終わるまで評価され難い (笑)



でも、   ?



 僕、「日本人って世界一寛容性と受容性がある人達と思うんやけどなぁ~」
(霊長類としてが正しいと思う)






 

『建築の日本展』に          つづく…

 

 

 

 

 

因みに、京都駅のホームやけど、僕の乗った新幹線11番車両の前に公衆電話があった、

でも故障して使えなかった。

車内にはテレフォンカード専用の公衆電話が有りました。

 

 

 

 

 

 

 

コメント有り難う御座います。

ダブっとりましたね(笑)

 

 

 

 

 

 

 
 
アルフォンス・ガブリエル・カポネとは、
P※※※※※※xのMさんか?
 
 
もしそうであれば、
ちょっと聞いてくれ!
 
20年以上のモヒカンみたいな頭の危機が訪れてるネン
欲しい所が寂しいわ
 
 
また相談に行くわぁ
 
 
 
それと、M○りさんのライヴ知ってたら行ったで、
気が向いたら告知、
 
よろしゅうおたのもうします。
 
 
 
 
さしさしくんより